エゴイスト 〜手塚side〜 嗚呼、俺は何をやっているのだろう 何故越前にキスなんて真似をしてしまったんだ? …好き?いや、そんな気持ちとは違う… 何故だろう…重く苦しく、俺を縛り付ける感情があるのは… 俺にとっての休息など無いにしても この息苦しいまでの空気は… まるでアイツのようだと思った 「手塚。まだ部活に英二と越前が来てないんだけど…」 大石の心配そうな声が、俺の耳を掠めた。 …大方、菊丸は保健室だろう。 不二と菊丸の関係を知らない訳ではない。 だからそれはいいとしても…越前が来ていないのには不安が過ぎる。 …越前は、不二に狙われているから。 「手塚?どうしたんだ?」 「…いや、何でもない。菊丸の事は不二が知ってるだろう。…不二ッ!」 呼ぶと、不二はすぐにこちらに来た。 「何か用?手塚」 「……菊丸の居場所を知ってるな?」 「うん。保健室だけど」 「ならいい。…越前の居場所も知ってるか?」 「え?まだ来てないの??」 「あぁ、だからお前がまた何かしたのかと思ってな」 俺の言葉に、不二は静かに微笑んだ。 「やだな、僕は何もやってないよ。それを言うなら君だろ?狼君♪」 「不二…見ていたのか」 「偶然だよ…。それにしても酷い奴だね。好きでもない相手に、あんな事するなんて」 「…っ好きでない訳では…」 「越前の身体とテニス、どっちを心配してるの?って訊いたよね。…君は、テニスだと答えたんだよ」 『君が越前に興味を持ってるなんて有り得ない。もしあるなら…それは嫉妬だ』 嫉妬…?俺が、誰に……? 「…俺は嫉妬などしない」 「へぇ…、でも僕が「越前を壊す」って言ったら…どうするだろうね?」 「!!!」 「ほら、動揺した。それは恋心じゃなくて、僕の興味が越前にあるという嫉妬心だよ」 不二の興味が越前に… いや、まさか…仮に嫉妬していたとしても… それじゃあまるで、俺が不二の事を好きだと言ってるようなものではないか…? 「手塚…?顔が蒼いぞ?」 「ッあ、あぁ。平気だ」 大石の声を聞いて、ハッとした。 そうだ、此処には大石を始めとした多くの部員が居る。…こんな会話を聞かせる訳にはいかない。 「不二、二人だけで話がしたい」 「……構わないよ」 俺が歩き出すと、不二はその後に続いた。 …珍しいな、俺の言う事を素直に聞き入れるなんて。 「…俺が嫉妬していると、何故思うんだ」 コートから離れ、校舎裏の隅にまで来た所で、不二に問いただした。 不二は普段とは違う…にこりともしない、かと言って剣幕とは違う顔つきをした。 「だって君、僕の事が好きでしょ?」 「何を馬鹿な事を…!俺は越前の事が好きだと…」 「それが【嫉妬】だと言ってるんだ。…大体、それが違うと言うなら…君は一体何を考えてるの?」 「…?」 不二は哀しそうな表情をした。 …俺が、こんな表情にさせてしまっているのか? 「君が、越前君に僕を仕向けたんだよ?君がこの状況をお膳立てしたんだ」 「何の事だッ」 「…越前と交流を持て。アイツはお前の事を知らなすぎる。覚えてる?君が僕に言ったんだよ」 「それは…俺の本音だ。越前とお前の接点が薄いようだったから…!」 「そうした結果、僕がどうするかなんて…君には予測出来た事のはずだよ」 ……確かに、そうかもしれない。 不二を越前に近づけたら、こうなる事は判っていた。 なのに…俺は…… 「君は僕を試したかったんだよ…。『可愛い越前を近づけても、俺を選んでくれるだろうか』ってね」 「?!」 「君の心は僕を愛してる。だけど身体が拒否している。…当たり前だね、壊されたんだから」 「…俺は…」 「これだけ言われても、まだ僕より越前が好きだと言えるかい?」 「…………」 「可哀想にね。越前は君の事が好きなのに、肝心の手塚は…自分の事を嫌っている上に利用してきたなんて」 そうなのか…?だから越前にキスした時、妙な感じがしたのか…? 俺は越前を憎んでいるのか?【壊されるだけ】だった俺と違い、【それでも愛される】可能性を持った越前を…。 もしそうなら、なんて醜く、小さな人間なのだろう。 …己の欲の為に、越前を騙す事をしてしまうかもしれない。 「ふふ…やっと自分の気持ちが判ったの?さて…君はこれからどうするつもり?」 「…俺の気持ちは変わらない。お前が越前を壊すのを、全力で阻止するつもりだ」 「へぇ、自分の気持ちを誤魔化すんだね」 「………あぁ」 口ではそう言っても、越前を好きになる気など無い。 …そして、不二が越前に近づくのを止めるのではなく、越前が不二に近づくのを止める。 そうする事が、今の俺に出来る唯一の事だ。 「手塚、君にはもっと期待してたのにな」 不二の手が、俺の頬へと伸びる。 その温もりは、かつて感じたものと同じままだ。 「もっと…僕にスリルを与えてくれると思ったのに」 「勝手な事を…。お前の貧欲なスリルなど、俺に満たせる訳がないだろう?」 「クス…判ってるよ?でもね、期待してしまうんだよ…」 不二の頬を、涙が通った。 …何故?こんなに儚げな不二は、今まで見た事がない…。 「本当は誰かに止めてもらいたいのに…!最後の希望であった手塚まで…僕は壊してしまったから…ッ」 「不二…、しかし…」 「ごめんね、許される事じゃないよね。…それに、僕は君の心まで奪ってしまった…」 「…」 「あんなに真面目に生きてた手塚を…こんな世界に巻き込んでしまうなんてね」 同性愛…確かに、昔の俺には考えられなかった言葉だ。 今自分が経験しているなんて…。 「俺は…お前が好きではない。だが、誰のものにもしたくない」 「フッ…我侭だね、手塚は…」 「お前にだけは言われたくない科白だな」 「そうだね。…でも、何で?何故、自分を苦しめた相手を?」 「…それが判ったら苦労はしない。ただ…心に焼き付くんだ」 「成る程」 不二はやっと笑顔らしい笑顔を浮かべると、俺に軽くキスをした。 「…ッ不二」 「嫌だった?…そうだね、君は僕を愛してないんだよね。でも…」 「ッ…ん」 「それは僕も同じだから」 不二は消え入りそうな声でそう呟くと、コートの方へと足を向けた。 その後姿に、いつもの不二はなかった。 罪を後悔しながら絞首台へと進む、罪人のようだった。 「不二ッ…?!」 「…ん?」 「…お前、何を考えてるんだ?」 「…さぁね。僕も自分の気持ちが、判らない一人だから」 自分の気持ちが、判らない一人…。不二が誰を指しているのか判る。 不二と菊丸と越前…そして俺だ。 複雑な糸で絡み合いながらも、誰一人として自分の本心を掴めていない。 …その『本心』を全員が理解した時、どうなるのか… 「手塚、僕を好きになるのは止めた方が良い。…忘れた?僕の異常な愛し方を…」 不二は歪んだ笑顔で言った。…忘れる訳がない、あの屈辱を。 好きにはならない。いや、なれない。 過去を繰り返す事だけは、したくないから。 「…僕を好きになる事が、自分を苦しめるって理解してるならいいんだ。じゃあね」 踵を返すと、不二はまた歩き出した。 一人佇む俺は、これからの事を考えた。 とても悲しく、恐ろしく虚しい恋愛をするであろう自分に… 向き合う事が出来そうにない俺は ただ呆然と己の気持ちを恐れた。 |